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 「買わない人=未顧客」を理解する初めての教科書『“未”顧客理解 なぜ、「買ってくれる人=顧客」しか見ないのか?』(2022年6月、日経BP発行)。経験豊富なマーケティングサイエンティストであるコレクシアの芹澤連氏が、様々なエビデンスに基づいた未顧客理解の原理原則と、日々のマーケティング実務で実践できるフレームワークを、マンガと図表で詳しく解説した書籍です。「未顧客理解」のエッセンスをお届けする本連載。今回は「パレートの法則(2:8の法則)」などマーケティングの世界で長らく信じられている「格言」が本当に正しいのか検証します。(技術プロダクツユニットクロスメディア編集部)

 マーケティングの世界には、エビデンスを欠いた「名言・格言の類」や、実証されていない「法則っぽい話」がたくさんあります。インターネットで少し検索するだけで、いくらでもまことしやかなマーケティング論を見つけることができます。ネットの記事が玉石混交というのはどの業界でもある話ですが、マーケティングの場合、オーサーシップがはっきりしている理論書や有名マーケターによる書籍の一部にも、そうした再現性の根拠があやしい話が紛れ込んでいます。

マーケティング格言「2:8の法則」や「5:25の法則」は本当か?

 皆さんに1つ質問します。事業が成長する上で、次に示す[A]と[B]のどちらが重要だと思いますか? 小売価格は変えられないという前提で考えてください。

  • [A] 既に何回も買ってくれている人に、追加でもう1回買ってもらう(既存顧客にもう1回買ってもらう)
  • [B] 今まで買ってくれなかった人に、新しく1回買ってもらう(新規顧客を1人増やす)

 売り上げは「総購入回数×平均単価」と計算できますから、掛け算をすれば[A]も[B]も同じです。しかし現在のマーケティングではファンやリピートを増やす[A]の考え方が主流です。既存顧客はリーチしやすく、何より購買実績があるので、既存顧客に目が行きがちになるのもうなずけます。

 また「既存顧客を維持する方が、コストは安く、リターンも大きい」と思われた方もいるでしょう。「上位20%の優良顧客(ファンやヘビーユーザー)による売り上げが、全体の80%を占める」という2:8の法則や、「たった5%の顧客離反を防止するだけで、利益が大きく増える」という5:25の法則を聞いたことがある方も多いと思います。既存顧客の維持やロイヤル顧客育成のエビデンスとしてよく引き合いに出される話ですね。

 しかし、こうした法則は本当に“法則”なのでしょうか?つまり、こうした話を真に受けて戦略や施策を考えても大丈夫なのでしょうか?昔からよく言われている話なので、特に疑うこともなく「そういうものか」と理解している人も多いと思います。今回は、最近の研究をひも解いて、こうした話の真贋(しんがん)を見極めていきたいと思います。

「たった5%の離反防止」でそんなに利益が増えるのか?

 まず、「たった5%の顧客離反を防止するだけで、利益が大きく増える」という5:25の法則から見ていきましょう。顧客の離反を防止することの恩恵について、例えばコトラーらは「業種によって異なるが、顧客の離反率を5%減らせれば、利益は25~85%増加する」と述べています[1]。しかし一方で、実は誤って認識されており、一般化できる話ではないという指摘[2]もあります。

 この法則の出処をたどるとライクヘルドらの論文[3]に行き着きます。原文の該当箇所を要約すると、離反率を10%から5%に減らすと顧客が0人になるまでの期間が倍になるので、その分顧客1人当たりのキャッシュフローも増える(クレジットカード企業で75%、業界により25~85%増える)と言っているのですが、これを、“たった5パーセント離反防止するだけ”で収益を大きく増やせると一般化するのは間違いです。これは「パーセント(%)」ではなく「パーセントポイント(%pt)」の減少だからです。

*「1/離反率」と計算した場合。ただし、この方法でLTV(Life Time Value)を計算すると過大評価されやすくなります。

 パーセントとパーセントポイントはよく混同されていますが、意味が全く違います。離反率10%を「5パーセントポイント」減らして離反率5%にするということは、例えば1000人の顧客のうち、もともと100人だった離反者を50人にする、つまり離反を半分にするということです。これは“たった5%”の離反防止ではなく、“50%もの”離反防止です。離反率を半分にすることができれば、収益が大幅に改善するのは当たり前です。もし本当に顧客維持率を5%改善するだけで大きく収益が伸ばせるのであれば魅力的ですが、残念ながらこうした数値の取り違えにより過度に一般化されているだけで、再現性が確認された話ではありません。