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連載・特集

緑地帯 熊原康博 地歴ウォークはやめられない③

 5階にある私の研究室からは、西条盆地南部にある柏原(かしょうばら)地区と三升原(さんじょうばら)地区が見える。私にとって両地区は「地歴ウォーク」の見方・考え方を培った思い入れのあるフィールドである。ここは、河床から10~30メートル高い位置に平坦(へいたん)面が広がり、「(河岸)段丘」と呼ばれる地形で、両地区を分断するように黒瀬川が横切る。本来、周りより高い段丘は水が得にくく水田をおこなうには不向きであるが、両地区には水田が広がる。

 広島県立文書館に江戸時代の両地区に関する文書や絵図が保管されていることがわかり、日本史が専門の下向井龍彦先生(現広島大学名誉教授)や大学院生だった弘胤佑君(現広島城北中・高校教諭)と相談して、これらを読み解く勉強会を開いた。両地区とも、広島藩の肝いりで水路や溜池(ためいけ)が段階的に整備され、田畑が開墾されたことがわかった。私は、“双子の新田開発”と名付けた。文書中の地名を頼りに水路、溜池の位置を地図に示すことで、開発時の構造物が今でも使われ続けていたこともわかった。

 面白い発見もあった。柏原と三升原の神社境内にある石灯籠や手水鉢などの石造物には新田開発に関わった藩の役人や賀茂郡の庄屋の名前が刻まれている。私のゼミの大学院生岩佐佳哉君とともに、両神社の石造物を比較すると、文面や筆跡が全く同じであることがわかった。まさに両地区が双子の新田開発でできた証拠である。古文書、地形、石造物など多様な情報を組み合わせて、その地域の地理や歴史を明らかにすることができ、その面白さを知った。(広島大大学院准教授=広島市)

(2022年7月28日朝刊掲載)

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