成長と共に露呈したデジタル広告の「闇」

電通発表の「日本の広告費」では、2019年に使用された広告費は2兆円を超え、テレビメディア広告費をも超える、巨額の広告費が流れるようになったインターネット広告。2020年、インターネット広告はコロナ禍で伸び悩むマスコミ四媒体とは対象的に成長を続け、ついに2021年には「インターネット広告費」がテレビだけではなく、「マスコミ四媒体広告費」を上回る形となった。広義で「インターネット広告」の業界に身を置く者として、その市場の拡大は喜ばしいことではあるが、反面、素直にこの市場拡大を楽観視できない状況であるのも確かである。

2017年に週刊東洋経済で掲載された「ネット広告の闇」という特集から始まり、2018年にはNHKのクローズアップ現代でも「追跡!ネット広告の闇」が放送され、業界内でもこの「闇」に関する話題がヒートアップした。そして、デジタル広告とデジタル広告市場における透明性と安全性、信頼性が広く議論されるようになった。

本稿では、電通の発表による「日本の広告費」に関連して言及する際には、出典元の項目名である「インターネット広告」を用いるが、その他では、デジタルを介しさまざまな形態で展開される広告として、広義の「デジタル広告」を用いる。

その甲斐もあってか、2019年の11月には日本アドバタイザーズ協会(JAA)からデジタル広告の環境に対する「8大原則と倫理観」が発表され、広告配信面や配信経路、取引上の品質向上に向けた指針が打ち出された。翌2020年には公正取引委員会が「デジタル広告の取引実態に関する中間報告書」を発表、内閣府デジタル市場競争会議も報告書を発表し、広告取引の健全化の動きが加速した。

さらに2020年12月には、JICDAQ「一般社団法人デジタル広告品質認証機構」の設立が決定し、JAA、日本広告業協会(JAAA)、日本インタラクティブ広告協会(JIAA)という広告業界に関係する3団体がそれに加盟。設立に伴い「JICDAQ宣言」を発表した。

2021年の4月に無事設立を果たしたJICDAQは、「3団体が中心となり、デジタル広告市場における品質課題を解決することで、デジタル広告が健全に発展し、企業にとっても社会にとっても有益なものになることを目指す」としている。そこでまずは、「アドフラウドを含む無効配信の除外」と「広告掲載先品質に伴うブランドセーフティの確保」を目指し、「業務プロセスの監査基準を制定し、それに沿った業務を適切に行っている事業者を認証」、さらに「理念に賛同するアドバタイザーの社名も公開」することにより、3団体の協力のもと広告市場の健全を目指している。

デジタル広告に見られる3つの問題

このように民間企業も公的機関も大きく巻き込んで、デジタル広告の「健全化」と「透明性」、そして「メディア品質」の確保が進んでいるが、なぜ「デジタル広告」においてこれらがいまだに議論され続けているのか。

2021年にインターネット広告に売り上げの首位を譲ったとはいえ、まだまだ広告費の大半を占める「マスコミ四媒体」や屋外広告などを含む「プロモーションメディア」においてはここまでの議論はない。なぜ「インターネット広告」に限って、ここまでの議論や動きがあるのか。

まず、アドベリフィケーションと呼ばれる「広告効果測定」の観点から見ると、デジタル広告において散見される問題は3つある。

次回以降で詳しく説明したいと考えているが、その3つとは「ビューアビリティ=広告が見られているか」、「アドフラウド=広告詐欺により人間以外に届いていないか」、そして「ブランドセーフティ=広告がブランドイメージを傷つけるような場所に配信されていないか」だ。

デジタル広告においてだけで議論が続く理由を考える上で、まずこれらの3つの問題を「マスコミ四媒体」や「プロモーションメディア」に置き換えて考えるとわかりやすい。

例えば「見られてない」問題だが、Webサイトなどに表示される静止画広告(バナー広告)を屋外広告に置き換えてみるとどうだろう。

屋外広告において、半分以上クリエイティブが表示されていなかったり、人の目に届かないところに看板が出されたりしていることは考えられるだろうか? テレビCMが誰にも見られない架空の番組で流され、広告費が不正に請求されたり、一流企業の広告が知らずにアダルト雑誌に掲載されたり、といったことが考えられるだろうか?

そういったことはありえない話であり、もしあったら大問題になるわけだが、デジタル広告においてはこのような問題が起こってしまう。その背景には、デジタル広告特有の「取引状況」と「評価指標」がある。

デジタル広告特有の「取引状況」と「評価指標」とは?

まず「取引状況」だが、「マスコミ四媒体」や「プロモーションメディア」に関しては、広告を出稿する「広告主」と、広告が表示される「媒体」の間に、取引の仲介を行う「広告代理店」が存在するという点を除けば、ほぼ1対1の関係性がある。

広告主は番組や雑誌、新聞紙を決め、そこに広告を表示するための費用を払う。よって「どこに」「どのように」広告が表示されるか、あらかじめ分かった状態で取引が成立している。

では、デジタル広告ではどうか?  デジタル広告でもほぼ直接的な取引として「純広告」が存在するが、大半の広告は「アドエクスチェンジ」や「アドネットワーク」などを介して取引される。これらは端的に言えば、世にある何百億を超えるWebサイト、そしてその配下にある無数のWebページ、そこに存在する広告枠を取りまとめ、広告キャンペーンごとに決められたルールやターゲット層に基づき広告の売買と配信をつかさどる。

要するに、一定のルールなどはあるとはいえ、1対1どころか1対何百億という途方もない数字の関係性になり、正確に「どこに」「どのように」広告が表示されているか、把握する術がなくなってしまう。また、このようにデジタル上の広告取引に介在するテクノロジーは無数に存在しており、それらがルールの隙間を縫って広告詐欺を行うためのプログラムなども入ってきてしまう。

さらに、問題を悪化させてしまうのが「評価指標」になる。デジタル上では広告を「クリック」することができるため、これが直接的な「効果」として評価されることがある。広告の「配信回数(インプレッション)」も同じく評価対象となるが、どちらも偽装がたやすく、人間によるクリックではない場合や、配信はされていてもブラウザに表示されていない場合も含まれてしまう。

そして「評価指標」として、これらの「単価」が使われることが多く、より多くのクリックや広告配信をどれだけ効率的に(安く)行えたかが重要視されているケースが多い。そうなると単に「安く多く」が重要視され、「質」が後回しになってしまうのである。

テレビ広告であれば、キー局のゴールデン番組とケーブルテレビの深夜番組、屋外広告においてはブランド店が立ち並ぶ一等地と歓楽街。これらを比べれば、一流企業が広告を出すのがどちらで、それが必ずしも「安い方」ではないことは安易に想像できる。

しかし、デジタル広告では「単価を安くする」ことがイコール「効率」になる評価指標が設定されてしまい、質より量が成功と見なされる環境によって、判断が真逆になってしまうことがあるのである。