東京オリンピックは、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の実現を掲げたが、取り組みは不十分だった。
国際オリンピック委員会は1996年、五輪憲章に持続可能性の尊重を盛り込んだ。世界最大のスポーツイベントにおける資源の浪費への批判が高まったからだ。
東京大会も、気候変動対策や資源の有効利用、生物多様性の保全などに配慮することを運営の柱に据えた。
競技会場や選手村で使う電力は、すべて再生可能エネルギーで賄うこととした。二酸化炭素を排出しない燃料電池車など次世代自動車も導入した。
選手に贈られるメダルは、全国から集めた小型家電などの金属をリサイクルした。表彰台には使用済みプラスチックを使った。
一方、廃棄物の削減や環境などに配慮した物資調達については、国際水準とのギャップがあらわになった。
資源を一切無駄にしないとうたいながら、ゴミの減量よりも、使い捨てにつながるリサイクルに対策が偏っていると批判された。
国立競技場は、まだ使えたものを建て替えた。しかも、NGOの調査で、建設資材に貴重な熱帯林の木材が使われたことも明らかになった。
選手村で提供された卵などの食材が、動物愛護の観点から問題視された。日本の鶏の大半は狭いケージで飼われているが、欧州では禁じられている。
スタッフ向けの弁当が大量に廃棄され、大会関係者のジェンダーや人権に配慮しない発言が相次いだ。いずれも「SDGs五輪」のイメージに逆行するものだった。
日本では、モノやサービスを購入する際、持続可能性や人権に配慮する「エシカル(倫理的な)消費」が浸透していない。
本来であれば、五輪で国際水準を上回る野心的な目標を掲げ、実践すべきだった。そうすれば先進的な取り組みが手本となって、大会後に普及する効果が期待できたはずだ。
今大会で「できたこと」と「できなかったこと」を徹底的に検証することが必要だ。その教訓を五輪の改革や今後の社会作りに生かすことが求められる。