クレジットカードのタッチ決済で公共交通を利用できる「オープンループ」が、日本でも地方を主体に広がりつつある。「Suica」などFeliCaベースの交通系ICカードが広く利用されている日本で、オープンループを導入する理由はどこにあるのか、また公共交通系電子マネーと競合はしないのか。三井住友カードが2022年8月2日に開催したシンポジウムの内容から探ってみよう。

オープンループの導入メリットとは

 日本の公共交通機関では「Suica」に代表されるFeliCaベースの交通系ICカードが広く普及しているが、ここ最近徐々に、クレジットカードのタッチ決済で公共交通を利用できる「オープンループ」を導入するケースが増えているようだ。

クレジットカードのタッチ決済を公共交通でも利用できるようにする「オープンループ」は、ここ最近地方を主体として導入に向けた動きが進みつつある。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
クレジットカードのタッチ決済を公共交通でも利用できるようにする「オープンループ」は、ここ最近地方を主体として導入に向けた動きが進みつつある。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

 ただ現時点において、都市部に住んでいる人がオープンループの存在を肌で感じることはほとんどないだろう。なぜなら日本でオープンループの導入を始めているのは主に地方のバス・鉄道会社などであり、まだ実証実験段階というところも少なくないからだ。

 とはいえオープンループの導入に積極的に動いている企業は増えつつあり、今後国内市場での存在感を急速に高めてくる可能性も十分考えられる状況となってきた。そうしたこともあってか日本でオープンループの導入に積極的な取り組みを見せている三井住友カードは、2022年8月2日に「stera transitシンポジウム2022 summer」というイベントを開催。同社が展開するクレジットカードのタッチ決済を活用した公共交通機関向けソリューション「stera transit」に関する取り組みをアピールしていた。

 日本ではFeliCaベースの電子マネーやQRコード決済が広まったこともあって存在感はまだ小さいが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に合わせて米Visa(ビザ)がタッチ決済を積極的に展開したこともあり、クレジットカードのタッチ決済が利用できる店舗が徐々に増えてきている。一方で海外ではNFCを用いたクレジットカードのタッチ決済の普及が急速に進んでおり、それを公共交通に用いる動きが加速しているという。

オープンループを導入する公共交通は世界的に増えており、580を超える都市で導入が進んでいるという。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
オープンループを導入する公共交通は世界的に増えており、580を超える都市で導入が進んでいるという。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

 クレジットカードを公共交通に用いるメリットは、1つに普段用いているクレジットカードをかざすだけで電車やバスなどに乗れる利便性が挙げられる。もちろんスマートフォンによるタッチ決済の利用も可能だ。三井住友カードの説明によると他にもメリットがいくつかあり、その代表例となるのが運賃を柔軟に設定できることだ。

 オープンループの料金請求は1日単位で後からまとめて処理されるため、どれだけ乗車しても一定以上の金額を請求しないよう上限を設定したり、商品の購入などと合わせて割引やキャッシュバックをしたりするなど、都度支払いの交通系ICカードとは違った料金設定ができる。それゆえ周遊チケットに類する仕組みや、各地域の店舗や他の公共機関などと連携した割引などが実現しやすいのだという。

オープンループであれば運賃に上限を設定したり、店舗と連携した割引なども実現できるとのこと。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
オープンループであれば運賃に上限を設定したり、店舗と連携した割引なども実現できるとのこと。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

インバウンドとコストの安さが地方の事業者に魅力

 ただ公共交通がインフラであることを考えると、既に普及しており広域で利用できる交通系ICカードのほうが、使い分けの必要がない分メリットは大きい。にもかかわらずオープンループを導入する動きが、とりわけ地方から広がっているのにはどのような理由があるのだろうか。

 理由の1つはインバウンド需要の取り込みだ。現在のコロナ禍ではインバウンド需要が大きく落ち込んでいる。これまで日本政府は観光に力を入れていたこともあり、コロナ禍以前は外国人観光客が大幅に増えインバウンド需要が大きな盛り上がりを見せていたし、コロナ禍後を見据えてインバウンド需要の取り込みに再び力を入れようとする動きも出てきている。

 そして先にも触れた通り、オープンループは既に多くの国で利用が進んでいることから、導入しておけば外国人観光客が切符や交通系ICカードを購入する必要なく公共交通を利用できるメリットが生まれてくる。とりわけインバウンドで空港からの移動を担う公共交通事業者にとっては、オープンループの導入が訪日外国人客の利便性向上、ひいては競合との差異化にもつながる。それだけに、関西国際空港からの路線を持つ南海電気鉄道のように積極的に取り組む事業者も出てきているのだ。

南海電気鉄道はオープンループの導入に向け実証実験を進めており、インバウンド需要の高まりによる訪日外国人の利便性向上がその契機となっていた。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
南海電気鉄道はオープンループの導入に向け実証実験を進めており、インバウンド需要の高まりによる訪日外国人の利便性向上がその契機となっていた。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

 そしてもう1つは導入コストの安さだ。かねて交通系ICカードは事業者側にとってコスト負担が大きいとされており、Suicaの普及に力を注ぐJR東日本でさえ、とりわけ東北地方におけるSuicaの導入には長らく及び腰であり、北東北3県ではSuicaの導入が2023年の予定であるなど現在も駅での利用がほぼできない状況が続いている。

 だがオープンループは交通系ICカードより導入負担が小さいとされており、それが規模が小さい地方の公共交通事業者から人気を集める要因にもなっている。実際インバウンド用途ではなく、日常利用の公共交通機関でオープンループを本格導入する地方の事業者も出てきている。例えば、複数の地方公共交通事業者を傘下に収めるみちのりホールディングスは2023年12月より、茨城交通の路線バス全車両にVisaのタッチ決済を導入することを決定している。

みちのりホールディングスは2023年12月より、傘下の茨城交通の路線バス全車両にVisaのタッチ決済を導入、日常利用の公共交通へのオープンループを本格導入する動きを見せている。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
みちのりホールディングスは2023年12月より、傘下の茨城交通の路線バス全車両にVisaのタッチ決済を導入、日常利用の公共交通へのオープンループを本格導入する動きを見せている。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

オープンループは交通系ICカードを置き換えるのか

 一連の取り組みから、オープンループが国内で徐々に拡大傾向にあることは確かだろう。となると気になるのは、オープンループは交通系ICカードの市場を奪うのか、という点だ。

 ただ先のイベントで、三井住友カードやビザの関係者からは一同に、オープンループが既存の交通系ICカードと対立する排他的なものではなく、共存するものだとの声が聞かれた。実際、先に触れた南海電気鉄道や茨城交通の事例を見ても交通系ICカードを排除しているわけではなく、オープンループをはじめとした複数の方式への対応を重視している。

 またオープンループを国内で広く普及させる上では課題も少なからずある。1つはstera transitで対応するクレジットカードの国際ブランドが、現在のところVisaのみだということ。他の国際ブランドへの対応は2023年3月ごろとしているが、日本ではJCBブランドの利用も多く、またインバウンド需要を考慮すれば中国銀聯の「銀聯カード」への対応も求められるだろう。それだけに幅広い国際ブランドへの対応は急がれるところだ。

stera transitが現在対応している国際ブランドはVisaのみで、他の国際ブランドへの対応は2023年3月を予定しているという。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
stera transitが現在対応している国際ブランドはVisaのみで、他の国際ブランドへの対応は2023年3月を予定しているという。写真は2022年8月2日の「stera transitシンポジウム2022 summer」より(筆者撮影)
[画像のクリックで拡大表示]

 そしてもう1つはNFCを用いているが故の認証速度の問題だ。改善が進んでいるとはいえ、FeliCaを用いた交通系ICカードと比べタッチから認証にかかる速度の遅さは、大都市圏での日常的な利用を考慮すると弱点だといえる。

 そうしたことからオープンループが国内で急拡大し、交通系ICカードを置き換えるとは現時点では考えにくい。だが導入する事業者の増加により、交通系ICカード以外の選択肢ができたことは大きな変化であるのも確かだ。交通系ICカードの低コスト化と地方での拡大が進まなければ、オープンループによって将来的に交通系ICカードは地方から地盤沈下が起こる可能性も十分あり得ると筆者は見ている。

佐野 正弘(さの まさひろ)
フリーライター
福島県出身、東北工業大学卒。エンジニアとしてデジタルコンテンツの開発を手掛けた後、携帯電話・モバイル専門のライターに転身。現在では業界動向からカルチャーに至るまで、携帯電話に関連した幅広い分野の執筆を手掛ける。

[日経クロステック 2022年8月22日掲載]情報は掲載時点のものです。

日経クロステックは、IT、自動車、電子・機械、建築・土木など、さまざまな産業分野の技術者とビジネスリーダーのためのデジタルメディアです。最新の技術や法改正、新規参入者や新たなビジネスモデルなどによって引き起こされるビジネス変革の最前線をお伝えします。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「日経クロステック」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。